プレスリリース

Press Release

「グリフォン書店」、硬派なノンフィクション『告白 731部隊』配信開始

 iPhone/iPad/iPod Touch向けの電子書籍ストアアプリ「グリフォン書店」にて、森田靖郎・著の『告白 731部隊』の配信が開始された。
 この作品は、1989年4月に新森書房より刊行された『殺戮工廠・731部隊 発見された細菌部隊兵士の告白調書』をベースに電子書籍版として全面的に修正、加筆し、改題したもの。
 カラー写真を多く追加され、改めて資料的価値の高い作品に仕上がった。

<内容紹介>
 1956年、中国撫順で「中華人民共和国人民法院特別軍事法廷」が開かれた。この裁判に先立って取り調べに応じた旧日本軍捕虜のなかに、元731部隊の隊員が数人いた。彼らは、自らの罪状を認め、すべてを告白した。
 本書は、元731部隊の隊員たちの赤裸々な告白をもとに、731部隊が置かれた現地をなんども取材し、現存する関係者に証言を得たものである。自らの罪と引き換えに資料を売った一部幹部と違い、罪を悔いた隊員たちの悲痛な証言の数々である。また、電子書籍化にあたっては、多くのカラー写真・資料を追加している。
 戦後も生きながらえた元731部隊の医学戦犯たちが、戦後の日本の医学、薬学界に君臨し続けた。世界一の長寿国といわれる日本人の健康は、あの731部隊の人体実験の犠牲者の血によって築かれたものともいえる。
 元731部隊幹部たちの戦犯逃れと新たな結託「GHQ血液銀行」の存在が、のちに薬害エイズなどを引き起こす要因のひとつとなった。また731部隊の人体実験の成果が米軍に引き継がれ、新たな細菌兵器「貧者の核兵器」が第三世界に拡散している。
 遺伝子工学を応用した究極の生物兵器の開発などにも関与する731部隊は、過去ではなく現代の、そして未来へと引き続かねばならないテーマである。

プロローグ いま、なぜ七三一部隊なのか
  貧者の核兵器
  石井四郎の登場と細菌兵器の開発・実験
  現代に生き続ける七三一部隊

第一章 七三一部隊林口支部長の証言「細菌戦は対ソ戦略の主武器だった」
 一九四五・林口 戦鬼たちの崩壊
  ソ連軍参戦
  七三一部隊林口支部長補原秀夫の逃避行
 一九五〇・撫順 撫順戦犯管理所の日々
  戦犯管理所での七三一部隊組
  石井四郎の号令下、細菌戦準備に全力
  懺悔を始めた戦犯たち
  対ソ戦略の最前線としての林口支部
 昭和史の謎を解明する告白調書
  七三一部隊林口支部長・榊原秀夫軍医少佐の自筆供述書
 七三一部隊幹部の証言の歴史的意味
 初めて公表される七三一部隊の全貌
  七三一部隊の組織・任務とは
  ペスト流行の基準となるノミ指数
  細菌謀略の実例
  細菌戦に耐えうる細菌の条件とは
  石井四郎の指示で七三一部隊の映画が作られる
  中国人労働者の内臓を北野政次に送る
  細菌戦のためにノミ一〜二トンの製造計画
 林口支部の細菌生産態勢についての報告
 林口支部は対ソ戦略・細菌戦の最前線基地だった
  榊原秀夫の軍歴
  林口支部赴任以前の細菌戦への加担
  七三一部隊林口支部長となる
  白ネズミ飼育が飛躍的に増える
  林口支部での細菌戦教育
  ソ連軍の侵攻で施設を焼却
  退却途中、ソ連軍の攻撃で支部員は四散
  ハルビンの陸軍病院に潜伏
  経歴詐称を訂正、七三一部隊員であることを申告
 大量殺戮兵器を生産
  安達演習場での殺人実験
  八月九日後、何をしたか
  コレラ菌重点の細菌生産計画
  試験管三〇〇本、シャーレ一〇〇個のコレラ菌を生産
  各種細菌の保存培養をはかる
 ひと月十五キロの細菌生産能力があった
  石井式培養基で一か月十五キロの細菌生産能力
  給水源への細菌撤布計画
  炭疽菌爆彈投下実験に参加
 七三一部隊の任務と各部の役割
  七三一部隊各部の任務は何か
  七三一部隊の主要メンバーは
  林口支部の組織
  どのような細菌が細菌戦に使用できるか
  細菌の撤布方法は
  細菌戦の攻撃目標は
  細菌感染後、どのような症状が起こるか
  細菌感染の予防方法は
  治療方法は
  細菌戦のための実験と調査
  首謀者・石井とはどんな男か
  北野とはどんな男か
  二回の支部長会同で何が話されたか
  細菌戦準備のため、本部・支部の総力で捕鼠作戦
  常徳で細菌爆彈投下か?
  気球による細菌爆彈も準備か?
 七三一部隊林口支部は、その後どうなったのか? 帰ってきた羊たち
  地下壕だけが雪の中に残っていた
  中国人労工が見た林口支部の断末魔
  時代の荒波の中で

第二章 戦鬼たちの告白「こうしてマルタの生体実験が行われた」
 一九五六・撫順戦犯管理所 スピーカーで流れる隊員の告白
  撫順戦犯管理所第一〇六六号
  七三一部隊少年隊員の告白が始まった
  ペスト菌を注射された中国人マルタ
  同郷の戦友も生体実験の犠牲に
 「戦友まで生体実験で殺されていた」
  元七三一部隊少年隊員・田村良雄供述書
 十六歳で七三一部隊少年隊に
  チフス菌、コレラ菌の大量生産に従事
  細菌榴散弾製造に加わる
  中国人民への傷害・拷問の実例
  強姦の事実も
  家畜病院へ放火
 七三一部隊は中国で何をしたか
  第四部柄澤班は何をしたか
 林口支部長の細菌生産の告白を聞いていた
  榊原が細菌生産を告白
 中国でくり返された細菌戦演習と遠征隊
  細菌の「大量生産隊」が編成される
  二十日間で九キロのペスト菌、脾脱疽菌を製造
  細菌爆弾で十二名を殺害
  柄澤班の細菌大量生産の実態
 細菌部隊ひとすじに生きた少年の経歴
 「私はマルタを使って生体実験の比較テストを行った」
  元七三一部隊第四部三谷班員・上田彌太郎の供述書
 統計事務係の目で見た生体実験観察
  第四部三谷班細菌研究室に勤務
  細菌伝単を研究
  七キロの乾燥細菌を生産、十名の生体実験に参加
 七三一部隊はアジア侵略の最大武器だった
  七三一部隊に勤務する以前
  七三一部隊の組織と責任者
  三谷班では乾燥細菌の研究
  「マルタ」専用移送車を目撃
  松花江での細菌爆弾投下実験
  細菌培養の熱影響についての研究
  細菌を注射された「マルタ」の観察と検査を行う
  四十キロのペスト菌に四千万人分の感染能力
  多くの犯罪的役割を担う
  七三一部隊離脱のいきさつ
 「これ以上、人殺しはしたくない」
  七三一部隊実習軍医・山下昇の供述書
 細菌入りの水を飲ませ、注射するのが私の仕事だった
  細菌実験の助手をつとめる
  七三一部隊を脱走、憲兵隊に逮捕される
  敗戦後、一時シベリアに抑留
  なぜ改名したか
  家族の消息について

第三章 七三一部隊の中国側関係者の証言「私たちは秘密のマルタたちを見た」
 生体実験の真相を糾す 七三一部隊の跡地、ハルビン、平房を訪ねて
  雪のハルビン
  韓暁館長の出迎え
  記念館を訪れる七三一部隊の元隊員
  強制徴用された中国人労工たち
  元労工方振玉、潘洪生両氏との一問一答
  「マルタ」の運搬を目撃した
  護送車に中国人が乗せられていた
 一九四六・後二道溝屯 悲劇の一家
  ペストで一家十二人が犠牲に
  靖福和氏が語る靖一族の悲劇
  三つの村で百三人が死亡
  被害は七三一部隊本部の東北に集中
  ペスト発生後十年間、みんな白いくつ下を履いた
 義発源屯の悲劇
 失われた故郷
  七三一部隊本部周辺住民代表の被害報告
  日本軍に村を追い出され、多くの凍死者が
  ペストで三十八人の村人が死亡した
  防疫隊が来るまで何もわからず四十人以上が死んだ
  九年間も奴隷のように働かされた
  土地は没収され、ネズミ捕りに狩り出されたあげくは……
 戦鬼たちのツメ跡
  七三一部隊に徴用された中国人の証言
  一年に四カ月の奴隷労働を強制された
  病気になっても死ぬまで働かされた
  ボイラーで昼は馬を焼き、夜は人間を焼いた
  「匣床」(箱ベッド)という名の拷問
  敗戦直後、汽車で物資をどこかへ大量輸送
  ボイラーで器材を何日間も焼き、最後は施設を爆破
  生体実験が行われていた「四方楼」で目隠し作業
  見るなと言われた「特別輸送車」の中には手錠や足かせが
  「四方楼」の中では白衣の日本兵が
  細菌爆弾実験場を見た
  「煉人炉」では家畜のほかに人間も焼いたという
  工場爆破で大量のネズミが逃げ出し、ペストが広がった

あとがきにかえて 七三一部隊の再来を防げ
 生きつづけている七三一部隊
  戦後の七三一部隊
  細菌戦は上下のひっくりかえった科学
 国民に隠されていた戦後の細菌戦の日米協力
  文部省はベンタゴンからの委託研究の事実を認めた
  細菌兵器のための研究費を受け取っていた大学・研究機関
  軍事目的への転用は可能
  戦後も生き続ける七三一部隊・東京
  最後に

【関連サイト】
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